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ホアナ・デ・カストロと子孫たち

ホアナ・デ・カストロのその後についての情報はとても少ない。
この時代、王女や有力貴族の娘であっても結婚するまではほとんど陽のあたらない存在で誕生日すらあやふや、夫に先立たれた後の人生もまた同様だったりすることが多い。
ならば彼女とドン・ペドロの間に生まれた(とされる)フアンとその末裔についても書いとこうかね、と思いなおしてただいま準備中。
マリア・デ・パデリヤの孫カタリナ・デ・ランカスターは宮廷で、ホアナ・デ・カストロの孫たちは教会で、それぞれ王国内で大きな権力を持つことになる。
詳細は近日公開(多分
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わーいわーい。
情報楽しみにしてます。
>彼女とドン・ペドロの間に生まれた(とされる)ホアン
もし彼が本当に王様の子だとしたら、「一夜妻」ではなかったってことでしょうか。
それとも一発で命中?
さすが王様…(下品ですんまへん)

Mlle Cさまへ
>「一夜妻」ではなかったってことでしょうか
さ・さすがスルドイです!むぅぅぅぅ~~
実はあれこれ調べている中で「一夜で捨てた」というのはアヤラが記した年代記(もちろんトラスタマラ家の)による記述を踏襲した単なる伝承らしいのです。
ハエンの司教が残した記録では、「数日後」王はクエリャルを後にして二度とホアナ・デ・カストロに会うことはなかった」となっているようです。
私の推理(妄想を多分に含む)では、意外とホアナ・デ・カストロの方が王様を拒絶したのではないかと思うのですよー
彼女はなかなか敬虔な女性で、王妃の地位ではなく、キリスト教徒的立場から正式な結婚を望んだと思うのです。
また、王様に買収されたとされるアビラとサラマンカの司教は両者とも徳の高い敬虔な人物だったらしいです。フランス王の契約不履行により、ブランシュとの結婚を無効と認めたのかも?
ドン・ペドロがクエリャルを後にしたのはエンリケらの蜂起に駆けつけるため、そしてその間に教皇から破門を言い渡されたホアナが以後王様を拒絶したのでは…?なんて思ったりしてるのですが。
どうでしょう?
La petrista del siglo XXI

くみぞう

Author:くみぞう

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