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フランスのブランシュ、ナバーラのブランカ

【フランス王】
フィリップ6世(1293-1350)   ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ(1290-1348)
                 ↓
           ジャン2世(1319-1364)   ボンヌ・ド・リュクサンブール(1315-1349)
                          ↓
                   シャルル5世(1337-1380)   ジャンヌ・ド・ブルボン(1337-1378)

シャルル5世妃ジャンヌ・ド・ブルボンはドン・ペドロ王妃ブランシュの姉。
ジャンヌとブランシュの母イザベルはフィリップ6世の異母妹。

【ブルボン公】
ピエール・ド・ブルボン   イザベル・ド・ヴァロワ
              ↓
         ジャンヌ・ド・ブルボン   シャルル5世
        ブランシュ・ド・ブルボン   ドン・ペドロ

1349年フィリップ6世はナバーラ王女ブランカ・デ・ナバーラと再婚、翌年死去。
ブランカは1351年王女ジャンヌを出産。

【ナバーラ】
女王)フアナ2世   エブルー伯フィリップ
           ↓
      マリア・デ・ナバーラ(1330-1347)   アラゴン王ペドロ4世
      ブランカ・デ・ナバーラ(1333-1398)   フランス王フィリップ6世
      王)カルロス2世(1332-1387)←悪賢いヤツ

アラゴンのブス姫ホアナ(1344-1385)は、マリア・デ・ナバーラの娘だったりする。
ドン・ペドロの最初の縁談は1335年、相手はイングランド王エドワード3世の娘イザベラ。
ドン・ペドロがまだ1歳になる前のことで、アルフォンソ11世が時期尚早との判断で不調に終わる。
1342年には再びエドワード3世から娘ジョアンとの縁談が提案され調印。が、ジョアンは1348年にペストで亡くなってしまう。
また、ブランカ・デ・ナバーラとの結婚についても交渉されていたが不調に終わっていた。

1350年アルフォンソ11世の死後、フランスとの間でも交渉が行われブルボン公女ブランシュ・ド・ブルボンとの婚約がまとまり、1353年バリャドリドで結婚式が挙げられた。
この交渉において、ブランシュ・ド・ブルボンの手を求めに向かったはずのカスティリアの使節団はなぜかブランカ・デ・ナバーラとの結婚についての要求を蒸し返した。ブランシュに対して異議があったというよりも、戦略的な理由からナバーラとの関係強化のためしつこく求婚したとも考えられる。
しかしジャン2世はブランカに対しての求婚を退けた。なぜだ。
うら若き義母への執着とか?
いやいやまさか。ジャンは善良だもの。
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ナバーラはカスティーリャとフランスの間にあって戦略的にも重要そうな土地だから、フランス王も虎視眈々と狙っていたのではないでしょうか。
あわよくば併合してやろうと…
ブランカ・デ・ナバーラとドン・ペドロの間に男の子でも生まれて、その後で万が一ナバーラ王家が断絶したりしたら、カスティーリャ&ナバーラ王国誕生!ということにもなりかねないわけで。
フランスとしてはそれはどうしても避けたい事態だと思うのです。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Blanche_de_Navarre_%281333-1398%29
ここによるとブランカ・デ・ナバーラは当時随一の美女だったとか。
ブス姫の叔母さんなのに?!

Mlle Cさまへ
めるしーぼくー!まどもわぜる!
やはりフランスのことはフランスの人に聞くべきでした!
単語だけ追ってうっすら理解したようなしないような気になってたのですが、よく考えたら仏和辞典があることに気がつき、辞書をひきひき意識が遠くなりながら読み終えました。
フランス語ってムズカシー!!!!!
この頃フランスとナバーラは同君連合が解消されていて、それまでナバーラを自分の国の一部みたいに思っていたであろうフランスとしては関係強化をはかりたかったのでしょうか。小さくても地理的にはとても重要な位置にあるし。
ナバーラ王カルロスも親仏的とはいえないしカスティーリャと手を組んでフランスへの道を明渡すかも。…危険だ!
歴史に流布された数多の「王妃の不義」説は、きっと私のような輩によるものだと思われます(笑
ウィキによるとアルフォンソ11世との再婚を拒んだとありましたが、これはきっとドン・ペドロですよね??フィリップ6世が亡くなったのは1350年8月、アルフォンソ11世は同年3月に亡くなってますし。
ブランカ・デ・ナバーラはたいへんな美女だったのですかー。カスティーリャ使節団も「こっちの方がドン・ペドロの好みだぞ」と思ったのかもしれませんね~。
ブス姫ホアナはやはり父王に似たのでしょう(涙

私も実はこの時代のフランスってあんまり詳しくないんですよね~
もう少し経つと、ジャンヌ・ダルクとかシャルル7世とかヨランド・ダラゴン(アラゴン王ペドロ4世のまご)とか出てきて面白くなってくるんですけど。
14世紀後半の西洋史ではスペインやイギリスの方が面白いような気がします。アルカサル読んでるからかもしれないけど…
>単語だけ追ってうっすら理解したようなしないような
私がスペイン語を見る(「読む」とは言えない…)ときがまさにそんな感じです(汗)

Mlle Cさまへ
この時代って資料が少ないせいもあってか、あまりなじみがないですよね。っていうか私はドン・ペドロ時代前後のカスティーリャ史以外はほとんどわからんのですよ…
フランス人の名前すらよくわかりません(汗
間違って書いてたら笑ってやってください~
>スペイン語を見る(「読む」とは言えない…)
うわー♪仲間仲間♪←失礼
La petrista del siglo XXI

くみぞう

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