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マリア・デ・パデリヤ

幼少期のドン・ペドロは後見人であるダルブルケルケの邸で育てられていた。
父王アルフォンソ11世の死により1350年カスティリア王に即位し、その2年後マリア・デ・パデリヤを愛妾に迎えた。

マリア・デ・パデリヤは、ビリャヘラの領主ディエゴ・ガルシア・デ・パデリヤとマリア・ゴンサレス・デ・イネストロサの娘として1332年に生まれた。
父が亡くなり持参金を整える望みがなくなったことから、マリアはダルブルケルケの妻イサベル・デ・メネセスに仕えることになる。雇い主には、彼女らに貴族的な行儀作法を教え、持参金の援助と結婚の手はずを整える道義的な責任があった。
1352年春。マリアが20歳のとき、メリメの史伝によればダルブルケルケの計画により2人は引きあわされた。
ドン・ペドロはダルブルケルケに決められた結婚を嫌ってブランシュ・ド・ブルボンを遠ざけたようにも言われている。
ではなぜダルブルケルケにより差し出されたマリアは、ドン・ペドロの寵愛を得たのか?
ドン・ペドロは、同年4月にダルブルケルケの所有するモンタルバンの城に逗留しており、このときにマリアの存在に気付いていたかもしれない。マリアはドン・ペドロ自身が選び、望んだ相手だったのだろうか。
1ヵ月後の5月、マリアは母方の叔父であるイネストロサにより王のもとへ導かれる。
9ヵ月後には、長女ベアトリスが誕生した。

マリア・デ・パデリヤは小柄で髪は黒く、気品にみち、優しく魅力的で賢い女性だった。激しやすい王の気性を静め、敵対者たちに対しても王の憐れみを求めた。
王の恋愛は頻繁に繰り返されたが、王が生涯唯一もちつづけた愛情はマリアに対してだけだった。

フランスとの同盟強化のため、ダルブルケルケはドン・ペドロの結婚相手にブランシュ・ド・ブルボンを選び、1352年11月4日ドン・ペドロは契約に署名。
ブランシュは従者とともにバルセロナに赴き1353年2月にバリャドリドに到着したが、ドン・ペドロは未来の王妃にまったく興味を示さなかった。
バリャドリドで開かれた結婚祝賀会の2日後、ドン・ペドロはマリアに会うため王妃を放置してモンタルバンへ向かう。

1354年次女コンスタンシア誕生。
マリアは王の戦争や移動に同伴せず、子供達とともにほとんどをセビリアで過ごしていた。
ドン・ペドロとの間には、ベアトリス、コンスタンシアに続いて1355年にイサベル、1359年にアルフォンソと、4人の子供達を得た。
政治的、私的に孤立するたびに、ドン・ペドロは偏執狂的な傾向を現わすようになり、その最たるものはファドリケ殺害という兄殺しであった。
マリアは疑うことなく王のもとへ向かうファドリケを助けようとする善良な女性だったが、王の非情さと敵方の喧伝により、サロメのような女としてロマンセロにうたわれてしまう。

マリアは「王の娼婦」と侮辱されたことを恨み、
王に対しその兄であるファドリケの首を求めた。
首を得たマリアはファドリケの飼い犬にそれを投げ与えた。
彼女よりも人間らしいその犬は、それが主人であると認めると傍らに跪いた。


1361年グラナダ侵攻の準備のさなかにドン・ペドロの2人の妻、ブランシュ・ド・ブルボンとマリア・デ・パデリヤが亡くなった。
ドン・ペドロは即時にマリアを王妃と宣し、1354年にマリアが創立したアストゥジヨのサンタ・クララ修道院への埋葬を命じた(後にセビリアの王室礼拝堂へ移される)。
ドン・ペドロにとって王位継承は急を要する問題となり、1362年セビリアでコルテスを召集。ブランシュとの結婚以前にマリアと結婚しており、彼女は正式な王妃であるとの申立てがなされた。
マリアの兄ディエゴ・デ・パデリア(ディエゴ・ガルシア・デ・パデリヤ)、既に亡くなったマリアの叔父イネストロサ(フアン・フェルナンデス・デ・イネストロサ)、印璽尚書アルフォンソ・デ・マヨルガ、王室礼拝堂付司祭フアン・ペレス・デ・オルドゥーニャなど数人の要人が証人であると宣言された。
ドン・ペドロはマリアとの1人息子アルフォンソを正統な王位継承者として宣誓するが、同年10月アルフォンソ王子は亡くなる。
1363年ブビエルカの集会では、王位継承の第1位に長女ベアトリスを、ベアトリスが男児をなさなかったときには、続いて2人の娘が王位を継承するよう指名した。
ベアトリスは1358年の約定でポルトガル王の後継者と婚約が決まっていたが、結局トルデシリャスの修道院に入り、コンスタンシアはランカスター公と、イサベルはその弟のヨーク公と結婚した。

現在、マリアはドン・ペドロの遺言によりセビリアの王室礼拝堂で眠っている。

…私の体はセビリアに運び、新たに作らせる礼拝堂に埋葬せよ。
右手には我が妻、王妃ドニャ・マリアを、
左手には我が息子、継承者のドン・アルフォンソ王子を…

tag : ダルブルケルケ イネストロサ

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非公開コメント

あ・ありがとうございます~
王様とマリア様の史実はそういう悲しい運命だったのですね。
青池先生が王様がマリア様(生きてるうちに)王妃として迎えてくださる様に描いて下さって嬉しいです。
きっと天国の王様とマリア様も「アルカサル」をお読みになって感激なさったことと思います。
マリア様は王様の母君の侍女ではなかったり、ブランシュ姫と同時期にお亡くなりになったり、「アルカサル」と違う部分が多少あっても、王様が唯一愛した女性という事実は変わりませんね。
そして本当に優しい方だったということも。
いっそうマリア様のことが好きになりました。

あれ?!
名前がヘンになってるー!!!
ごめんなさい。『RINO』でございます。
ちょっと酒入ってるから間違った様です。
王様どうかお許しを―――!

マリアとアルフォンソ王子が王様よりも先に亡くなったこと、マリアのためにはそれで良かったのかもしれないと思います。
もしも二人が王様より長生きしていたらと思うとぞっとします。
少なくともアルフォンソは無事ではいられなかっただろうし、マリアだってレオノール・デ・グスマンみたいな目に遭わされていた可能性が濃厚。ブルブル。
妻子に先立たれた王様は可哀相でしたが、今は家族仲良くセビーリャで眠っているのなら少しは救われる思いがします。
それにつけても、ベアトリスはどこに行ってしまったのでしょうね(涙)

こんばんは。
マリアについて、しみじみ読ませて頂きました。
ありがとうございます。
マリアの最期は幸せだったのでしょうか?
王様が彼女の死後、すぐに王妃としたのも、跡継ぎ問題もあったと思いますが、何より糟糠の妻に報いたかったのだと思いたいです。
マリアの一生が今改めて思い起こされます。(感謝)

RINO様へ
私もよくヘンな書き込みします。一滴のお酒も入っていないあたり悲しすぎ…
マリアはマリア母太后の侍女ではありませんでしたが、アルブルケルケの妻のもとでもあのような明るい仕えぶりだったそうです。
マリアを愛妾に選んだことはドン・ペドロにとって自らの意志による初めての選択だったのかもしれないですよね。ステキvv
王様とマリアが天国でアルカサルを読んでいたら…
プププ。王様は針のムシロでしょうね(笑

Mlle.C様へ
王様より先に亡くなってよかった…悲しいですが私も同意です。
名家グスマン家のレオノールでさえ王の死後はまったく見捨てられてしまったのに、下級のパディーリャ家出身のマリアがただで済むとは思えませんよね。
ヘタしたら兄の手でエンリケに引き渡されることになったかもしれません。アイツならやりそうだ。
エンリケ政権に不満が出始めたとき、ベアトリスに男の子を期待して暗躍する輩が現われることも考えられるし、エンリケは彼女を幽閉するだけでは安心できなかったでしょうね。
ということはやっぱり…
やややややや!
王女であることを捨て、一尼僧として葬られたために行方が知れない…ということかもしれないですね。
そう思いたいです。

ワルツ様へ
私もマリアを王妃にしたのは世継問題だけではなかったと思います。
やっぱり愛ですよ、愛!
王様には、マリアの死後王妃として遇した女性もいたし、その女性との間には男の子も生まれています。
それでも結婚はしなかったし、遺言で言及しているのもマリアの子供たちのことばかり。
ファナ・デ・カストロとは気前よく結婚したくせに、マリアとは存命中に結婚しなかったことを後悔したと思います。
きっとこんなに早く別れが訪れるとは思っていなかったのでしょうね(涙
でも、マリアは幸せだったと思います。
ドン・ペドロの人生が上向きな時期に亡くなっていますし、王様の悲惨な最期を見取らずにすむのですから…

>アイツならやりそうだ
あわわわわ…
実は史実を知って一番ショックだったのが「アイツ」のことでした。
あんな奴だったとはー!
アイツについてのネタバレも待ってます…ふふふ…

Mlle.C様へ
本当にアイツならやりかねませんよ!パディーリャ家の面汚しです!
アイツについてのネタバレ…
多分史実とアルカサルとのギャップ以上の衝撃のバレはないでしょう(笑
スペインに行ったときアルカラ・デ・グァダイラにも行く予定だったんですよー
行けなかったけど。くすん
アイツはアルカラ・デ・グァダイラのアルカサルに幽閉されて、
自分の血で書いた嘆願書をネズミの尻尾に括り付けて王に命乞いをしようとしたとの伝承が残っているのでぜひ行ってみたかったんです(笑
マイナーな町のようですが、いわれのある古城がよく残っている町なんです。
あぁ、休みが欲しいなぁ…

左腕にアルフォンソ王子を抱いた体格の良い王様とその右側に寄り添う小柄で魅力的なマリアさん。
仲睦まじいお二人の姿はきっと絵になった事でしょうね。
処でアルブルケルケってポルトガルの近くの同名の町のご出身ですか?

ねこだましい様へ
本当ですね~。美男美女の王と王妃にかわいらしい子供たち…ベラスケスみたいな宮廷画家がいて家族の肖像を残してくれてたらなぁ…
アルブルケルケの生国はポルトガルだそうで、彼の領地はカスティーリャとの国境周辺に点在してます。
ねこだましい様のおっしゃるエストレマドゥラのアルブルケルケは、ドン・ペドロがしつこく挑発した「ダルブルケルケの町@王城」だと思います。
いつかは行きたい町の一つですが…車の運転に自信がアリマセン…
彼自身の出身地かどうかは不明ですがアルブルケルケ家の発祥地だったんでしょうね~
La petrista del siglo XXI

くみぞう

Author:くみぞう

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