スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ジョーン・オブ・イングランド(プランタジネット)

Joan of England
1333.2.(1335?)-1348.9.2
イングランド王エドワード3世と王妃フィリッパ・オブ・エノーの第三子(次女)。
兄エドワード(黒太子)、姉イザベラ、ジョーン・オブ・ケント(フェアメイド・オブ・ケント)とともにマリ・サンポル・ドゥ・ヴァランス(2代目ペンブルック伯爵夫人)のもとで育てられる。

1345年、カスティリア王太子ドン・ペドロと婚約。
1348年8月初旬、カスティリアへ輿入れのためポーツマスを発った。
ジョーンの輿入れには4隻の帆船が用意された。

【随行団】
・ロバート・バウチャー男爵・・・イングランド王室前秘書官長、クレシーの戦いの武勲者
・アンドリュー・ウルフォード・・・ヨーク大聖堂の重職にある法律学者
・ジェラルド・ドゥ・ポディオ・・・ボルドー大聖堂司祭、王女の精神的要求の代弁者
・グラシアス・デ・ヒビル・・・カスティリアから派遣された吟遊詩人
 他、強力な弓兵100名

【嫁 資】
・ウエディングドレス・・・金糸を織り込んだ輸入物の分厚い絹地を150m以上使用
・スーツ・・・10枚の真紅のビロードを縫い合わせたもの。アンダードレスみたいなものか?
・コルセット・・・5つのうち2つはエドワード3世の宮廷で流行していたシガストンと呼ばれる厚地の絹地に金糸で星、三日月、ダイヤモンドの模様が織り込まれたもの。
・ボタン・・・24個1組のボタンを2組(金メッキの銀細工・七宝細工)
・ドレス・・・コルセットを組み込んだギタスと呼ばれるドレスを2着
       ・緑色:いたるところに金糸で薔薇の花園、野生動物、未開人をかたどった刺繍←なにこのセンス
       ・褐色:金粉が貼り付けられた上に円の反復模様。円の中には横臥しているライオンと王家の紋章が明るい色合いの金糸と金属の糸で縫い取られていた。
・王女専用の移動式礼拝堂・・・長いすには争いあう竜とぶどうの蔓の縁飾りが彫刻され、いたるところにビザンチンの金貨がはめ込まれていた。祭壇の台座を覆う布には蛇と竜の装飾。
・銀器
・香炉
・銀製の聖杯
 他

カスティリアへ向かう途中、王女一行はガスコーニュに立ち寄る。
ジロンド川を遡りボルドー港に入港し、埠頭近くにあるオムブレール城に滞在。
当時ボルドーではペストが深刻な状態になりつつあり、港や通りには死体が積み上げられていた。
ボルドー市長レイモンド・ドゥ・ビスカルは、ボルドーの現状を告げ、すみやかに出立するよう警告したが王女の側近はこれを無視した。

8月20日、ロバート・バウチャー死亡。
9月2日、ジョーン王女死亡。
アンドリュー・ウルフォードはイングランドに引き返し、王女の病死をエドワード3世に報告。
エドワード3世からカスティリア王アルフォンソ11世に王女の死を嘆き、婚約解消を伝える書簡が送られた。

1348年10月25日、エドワード3世は王女の亡骸をロンドンに埋葬するためカーライル主教を日給5マルクでボルドーに派遣。
※5マルク=2000ドル(2001年)約25万円
だが、ジョーン王女の亡骸がロンドンに運ばれた記録も葬儀についての記録もない。
(ロバート・バウチャーの亡骸はロンドンに運ばれ、エセックスの修道院に埋葬されている。)

ボルドー港周辺を中心に深刻な状態となっていたペストの蔓延を食い止めるため、ボルドー市長レイモンド・ドゥ・ビスカルは港湾施設に火を放たせたが、予想以上に広範囲に燃え広がった。
勢いを増した炎は王女の亡骸が残されていた城に燃え移り遺体を灰と化してしまった、とノーマン・F・カンター(中世西欧史家)は推測している。

ロンドンへの帰還は叶わなかったであろうジョーン王女だが、ウエストミンスター寺院にあるエドワード3世の墓所には彫像が残されている。
いくつかの記録にはジョーン王女はバイヨンヌ大聖堂に埋葬されたとするものもあるらしいが、まさかいうかまたかというかのバイヨンヌ。
墓の管理はどうなっとるんだ。

黒死病 疫病の社会史
ノーマン・F・カンター 著
久保儀明・楢崎靖人 訳
2002年 青土社

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: No title

人物名載せておきますねー^^

ロバート・バウチャー    Robert Bouchier
アンドリュー・ウルフォード Andrew Ullford
ジェラルド・ドゥ・ポディオ Gerald de Podio
グラシアス・デ・ヒビル   Gracias de Gyvill
レイモンド・ドゥ・ビスカル Raymond de Bisquale

ところでオムブレールなる城がどこにある(あった)のかがまったくわかりません。
どなたかご存知の方いませんかー?

No title

調べてみましたが、おそらくPalais de l'OmbriereあるいはChateau de l'Ombriereってのがそれみたいですね。
一般的なカタカナ表記をするならオンブリエール。
アリエノール・ダキテーヌの宮廷があった場所らしいです。

ここでの議論を見ると現存してないみたいですね。
http://www.castlesontheweb.com/quest/Forum7/HTML/000755.html

こちらはアリエノール・ダキテーヌ関係のサイトですがアニメーションで城を再現しています。
http://alienor-aquitaine.org/lieux/02_ombriere.htm#

こちらは絵が多数。
http://www.idhbb.org/uk-page1.1.omb.htm

スペイン語の文献もみつけました。
http://www.conar.org.mx/eventos/1348-2011.pdf

うーんでもざっと読んだ限りでは火事のことは書いてないような…。

Mlle Cさま

持つべきものはオタクな仲間(笑
有益な情報をありがとうございます!

「オンブリエール」!!
これで検索すれば日本語でも相当数ヒットするではないですか…!
スペルの見当もつかず、サンタンドレ大聖堂近くだろうと推測はしていたので付近をGoogle mapsで探してみたもののそれらしき発見もなく、どんよりしてました。
遺構すらないんでしょうか。しょぼん。

「城まで火が回り王女の亡骸が失われた」というのは著者の推測なのですが、城自体はこの火事で焼失してしまったわけでなないんですね。
エドワード3世が遺体を引き取りに向かわせたとありますが、どこかに安置されているのを引き取りに行かせたのか、行方知れずになっているのを探しに行かせたのかもわかりません。

王女は死の前に疫病から逃れるためにLoremoという近くの小さな村に移されたとの記録があるようですが、ボルドー近郊でこの地名は見つけられませんでした。
疫病対策のために港湾施設に放った火が予想外に広がり、遠くの住宅地にまで延焼したということは訴訟記録にも残されているようですが、ネットでのチラ読みではボルドー史に出てきませんよねぇ。
大火の記録とか出てきてもよさそうとは思うのですが・・・。

No title

職場から徒歩30秒の図書館で「黒死病 ペストの中世史」借りてきました。
ジョーン王女が出てくる所だけパラ見しましたが、エドワード3世がアルフォンソ11世に宛てて書いた、王女の死を嘆く手紙が泣ける…
エドワード3世って愛情深い父親だったみたいですね。
あれだけ子供がいて、それほど揉めなかった(孫の代以降は揉めまくってますが)というのは、長男が優秀だったせいもあるでしょうが親の育て方も上手だったのかも。
アルフォンソ11世見習え。

>王女は死の前に疫病から逃れるためにLoremoという近くの小さな村に移された
Loremoで検索してもこの王女関係の話題しか出てきませんねえ…
それにLoremoってあんまりフランス語っぽくない。
オック語なんでしょうか?

そしてベアトリスといいロドリゲスといい墓がなくなりやすいバイヨンヌ。

そういえば…

>ウエストミンスター寺院にあるエドワード3世の墓所には彫像が残されている

これこの間見たんですが、彫像は6体あって、それぞれに紋章がついてるんです。
で、ある女性像の下にイングランド王家の紋章に城と獅子が組み合わさったものがあったので
「あら、これコンスタンシアかイサベルかな、でも息子じゃなくて息子の嫁を彫るっておかしいよね」
と思っていたのですが…
もしかしてあれがジョーンだったんですかね?
ドン・ペドロの婚約者として死んだから、カスティーリャ王妃(王太子)としての紋章をつけたのかなあ。

Mlle Cさま

なんて素敵な職場環境~

>Loremo
バイヨンヌ近郊の町との説もあるようです。
バイヨンヌ…バスク語?全然わかりません。
しかし町の名の名残もなく消え去ってしまうとは…解せぬ。

王女の彫像↓の4枚目の写真ですが、2枚目の写真の左から2番目ですよね?
小さすぎて見えないですが、カスティリア王妃の名誉を与えるために紋章をつけたのかもしれないですよね。
http://www.westminster-abbey.org/our-history/royals/burials/edward-iii-and-philippa-of-hainault
これも小さい…
http://www.churchmonumentssociety.org/London_Westminster.html#King_Edward_III_(d.1377)
もっと詳細な写真をくれーっ!
http://humphrysfamilytree.com/Royal/Bitmaps/edward.iii.tomb.2.full.jpg

ジョーンがカスティリア王妃になっていたら英仏イベリア半島の情勢は大きく変わっていたでしょうねぇ(遠い目
彼女を失ったことは政治的にも大きな痛手だったでしょうが、国王夫妻はジョーンを特に愛していたとの記述も多く見かけます。
ジョーンを「天国から国王と王族を見守る受難の天使」と呼んでいます。

wikiにアルフォンソ11世にあてた手紙の引用がありました。
translated by Rosemary Horrox in her book The Black Death:

"We are sure that your Magnificence knows how, after much complicated negotiation about the intended marriage of the renowned Prince Pedro, your eldest son, and our most beloved daughter Joan, which was designed to nurture perpetual peace and create an indissoluble union between our Royal Houses, we sent our said daughter to Bordeaux, en route for your territories in Spain. But see, with what intense bitterness of heart we have to tell you this, destructive Death (who seizes young and old alike, sparing no one and reducing rich and poor to the same level) has lamentably snatched from both of us our dearest daughter, whom we loved best of all, as her virtues demanded"

"No fellow human being could be surprised if we were inwardly desolated by the sting of this bitter grief, for we are humans too. But we, who have placed our trust in God and our Life between his hands, where he has held it closely through many great dangers, we give thanks to him that one of our own family, free of all stain, whom we have loved with our life, has been sent ahead to Heaven to reign among the choirs of virgins, where she can gladly intercede for our offenses before God Himself"
La petrista del siglo XXI

くみぞう

Author:くみぞう

検索フォーム
最新記事
最新コメント
カテゴリ
タグ

キャサリン・スウィンフォード コンスタンシア 外伝 公爵夫人の記 モンティエル 完結 セビリア カルモナ マルティン・ロペス チョーサー ジョン・オブ・ゴーント イサベル エドムンド バイヨンヌ ファドリケ パラドール アルマグロ シウダ・レアル サンティアゴ・デ・コンポステラ ロドリゲス 考古学博物館 ファルコ 礼拝像 ペードロ イネス・デ・カストロ カタリナ ホアナ・デ・ビレナ ダルブルケルケ カンタベリ物語 イネストロサ ジョアン デュ・ゲクラン JohnofGaunt ジョーン ホアナ・デ・カストロ ブランシュ・ド・ブルボン ブランカ・デ・ナバーラ メリメ カブレラ レオノール・ロペス 

CustomRssReader
リンク
月別アーカイブ
最新トラックバック
QRコード
QR
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。