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公爵夫人コンスタンシアの生活

コンスタンシアイサベルの英国生活について秋津羽さまから貴重な資料をいただいた。
秋津羽さま、ありがとうございます!
彼女たちの英国生活についてはほとんど情報がないため大変参考になった。
と同時に大変悩ましく、頭を抱えてもいるのだが(笑

シェイクスピアの「リチャード2世」を読んだときのエドムンド・オブ・ラングリーに対する第一印象は「でくのぼう」とか「うすのろ」とかだったので「怠惰な人物」と言われてもあまり違和感がない。
でも、でも、イサベルタンはそんな子じゃないやい!うわーん!
↑このへんの情報は秋津羽さまから明らかにされる日が来るはず(よろしくお願いします!)

そんなわけで追跡調査にそなえ、私の持つ情報を整理しておこうと思う。
1371年9月21日、ギュイエンヌ地方ロックフォールでジョン・オブ・ゴーントと結婚したコンスタンシアは、1372年2月10日カスティリア王妃の名誉をもって厳粛にロンドン入りし、黒太子らの歓待を受けた。
この結びつきを強固なものにするため、同年3月1日、イサベルはジョン・オブ・ゴーントの弟エドムンド・オブ・ラングリーと結婚する(この後の彼女の暮らしぶりは不明)。
1372年6月6日頃、コンスタンシアとジョンの最初の子カタリナが誕生する。正確な誕生日は不明であるが、この日、ジョン・オブ・ゴーントは前妻ブランシュの出産に立ち会った助産婦を迎えに行くよう使者を出している。

ジョン・オブ・ゴーントは、たいてい前妻の娘たちと愛人キャサリン・スウィンフォードとともにロンドンで過ごし、コンスタンシアはカタリナとともにハートフォードに住んでいた。また、カスティリア人の女官たちは、前妻ブランシュの女官でキャサリン・スウィンフォードの姉、フィリパ・チョーサー率いるイングランド人女官に入れ替えられてしまう。
フィリパとイザベルがキャサリン・スウィンフォードのもとにとどまる一方、ヘンリー・ボリンブロクは1369年、3歳で大おばのLady Wakeと暮らすために家を離れており、1377年頃にはLady Mohunの家へと移ったようである。

カタリナは、1375年にダービシャーのメルバーン公爵の城に宮廷を持つこととなったが、実質的には1380年になってLady Mohunに預けられ、ここで異母兄ヘンリーとともに数か月一緒に暮らした。カタリナには通常の貴族の子女としての教育の他に、カスティリアの王位継承者として高い教育が授けられた。

一部【続】公爵夫人コンスタンシアの生活へ続きます。

ワット・タイラーの乱で中断したジョン・オブ・ゴーントのカスティリア侵攻は、1385年アルジュバロータの戦でのポルトガル軍勝利の報により再び動き出す。ポルトガルの年代記者フェルナン・ロペスによれば、この知らせがランカスター公爵の宮廷に届けられると、ジョン・オブ・ゴーントはこれまでイングランド王家のことで手がふさがっていて何もできなかったことをコンスタンシアに詫びた。コンスタンシアは「カスティリア王国は私の権利のもとにあり、私の父を殺した裏切り者の庶子の子らのものではないのです!」と言ってカタリナとともに涙を流した。
ジョン・オブ・ゴーントはカスティリア王位を戦の場でつかみ取ることを決意。
1386年5月にイングランドとポルトガルの間にウィンザー条約が結ばれた。

7月、ランカスター公爵夫妻と娘たちはプリマスからカスティリアに向けて出航した。イングランド艦隊は、カスティリアの油断を突き、サンティアゴの祝日である7月25日にラ・コルーニャに入った。サンティアゴ・デ・コンポステラの市民たちはジョン・オブ・ゴーントとコンスタンシアをカスティリア王夫妻として歓迎。一家はサンティアゴの墓所を訪れている。
この後のコンスタンシアの活動は「アルカサル」にあるとおり、また一部はコンスタンシアにまつわる伝承でも触れている。

1394年3月24日、ドン・ペドロの死から丸25年後、40歳でコンスタンシアは亡くなった。
1392年11月23日にはすでに妹のイサベルもこの世を去っている。
1399年2月13日にはジョン・オブ・ゴーントも亡くなり、その遺言書には「レスターの教会において、自分自身のため、そしてそこに埋葬されている妻コンスタンシアのためにミサを行うよう」また娘婿エンリケ3世の賠償金の未払がある場合の取り立てについて指示している。
この遺言から、ジョンとコンスタンシアが一緒に埋葬されたのではないかと勝手に舞い上がっていた私なのだが、実際にはジョンは「白の貴婦人」と称賛された愛する前妻ブランシュとともに埋葬されることを望んだ。ガックリ。
イングランドに亡命したカスティリアの貴婦人達の多くがレスターに移住していたことから、カタリナを手放した後のコンスタンシアの生活も、決して寂しいものではなかったと思いたい。

また「アルカサル」でコンスタンシアがホアン1世に王冠を授けるシーンがあるが、これはカスティリア王を宣言したジョン・オブ・ゴーントにリチャード2世が贈ったもので、実際にメディナ・デル・カンポの地でコンスタンシアからホアン1世に与えられた。
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tag : エドムンド イサベル コンスタンシア 公爵夫人の記 キャサリン・スウィンフォード

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>実際にメディナ・デル・カンポの地でコンスタンシアからホアン1世に与えられました。
実話だったんですね!あれは感無量の名場面でしたよね~。個人的感情をこえて王冠を授けたコンスタンシアもえらいけど、謙虚に頭を差し出したホアンもえらいかも。
ジョンとコンスタンシアが一緒に眠っていないのはちょっと残念だけど、コンスタンシアは案外「私はお父様お母様のいるカスティリアに魂となって飛んでいくから、お墓は別にどうでもいいわよ」とかサバサバしてたりして(笑)

こんばんは
エドムンドに あの暴言はないでしょう!「黙して語らず」
と言って下さいな。シェイクスピアさん
今も昔もあちらのお国の人は、ケチをつける時に限って大袈裟ですねぇ。
イザベルとの結婚だって、対外的にも、国内的にも何のしがらみもない証に
なったわけで、結果、摂政になったのではないでしょうか。
世の中言ったもの勝ちの精神の人ばかりじゃありませんよ。
自信ありげなジョンの隣で優しく微笑む(に見えますが、私だけ?)
エドムンドのコマ、お気に入りです。
では

コンスタンシアがホアン一世に王冠を授けるシーンは、てっきり青池先生の創作かと思ってました。史実だったのですね。
コンスタンシアが気質も容姿もドン・ペドロそっくりの娘として描かれていることで、より象徴的なシーンになっていたと思います。
カタリナ・デ・ランカスターの側に、年老いたアラベラの姿があるのも感慨深いものがありました。
ロペスの娘レオノールはとうとう「アルカサル」には登場しませんでしたが、そのかわりに青池先生はアラベラという女性を創作し、コンスタンシアとカタリナを見守り続ける役割を与えたのかもしれません。
(レオノールについても伺いたいことがあるのですがその話は次の機会に)
コンスタンシアはメディナ・デル・カンポのどこに滞在していたのでしょうね。
イサベル女王が住んだパラシオ・レアルはあの頃すでにあったのかしら。それともブランシュ・ド・ブルボンも幽閉されたというモタ城か。
私は単行本化にあたって加筆されたモタ城の絵に感動しておりました(笑)。

Makoさま
実話だったんですよ~。
ドン・ペドロの血統の前に頭を垂れるホアンの姿…エンリケに見せてやりたかった(笑
カタリナの言うとおり、エンリケの簒奪は、ホアンにとってはかわいそうなことでしたね。
>ジョンとコンスタンシアが一緒に眠っていないのはちょっと残念
軽くどんでん返しにあったようでちょっと残念ですよね。でも、天に召されたコンスタンシアは、ジョンに心を残すことなく、カスティリアの家族のもとへ還って行ったと思います!

みゆきさま
エドムンドのこと、でくのぼうとかうすのろとぐどんとか影薄いとか言ってごめんなさい(涙 ←って更に輪をかける自分。
リチャード2世で描かれてるイサベル(多分)に激しく違和感を覚える私ですが、もしかしてイサベル自身ほんとにこんなキャラだったのか、それとも後妻ジョウンが投影されているのか、シェイクスピアのオリジナル設定なのか…。
あの時代、あの一族の中にあって、誠実なエドムンドは凡庸とも思われる存在だったんでしょうね~。

Mlle Cさま
コンスタンシアが王冠をホアンに与えること自体は史実のようですが、あのように感動的な場面に仕上がったのは青池先生の創作によるものだと思います。もしかしたら段ボール箱に突っ込んで渡したっきりだったかもしれませんしね(王冠を粗末に扱うわけないか←段ボール箱もないっつーの。
>レオノールについても伺いたいことが
なななななんでしょう!?ドキドキ。
お力になれるといいのですが~。
コンスタンシアの滞在地、お城だったか修道院だったか…。後ほど調べてみますです。
>パラシオ・レアル
13世紀の中頃、フェルナンド3世の治世下で建設が始められたようなので、コンスタンシアが滞在した可能性もあるかもです。それともモタ城か←私も行ってみたいです!

2007年も押し迫ってまいりましたが皆様いかがお過ごしですか。お忙しいことと存じますが…(#^.^#)
今年はワタシにとってまさにアルカサルに始まりアルカサルに終わった年でした。
しかし、アルカサルが完結しても不思議なことに「終わった」感がないんですよね。
コンスタンシアからカタリナへと世代が替わっても受け継がれていった生命の流れのようなものがザーザーっとこの現代まで流れ続けてるような気がして、自分も彼らと同じ流れの末流にいる気がするんですよ。
いよいよ来年は外伝ですね(^^♪
コンスタンシアだそうですね!!(やっぱエンリケじゃないのね…)
こちらのブログにめぐり合えて王様の足跡や息遣いに触れた思いです。
年末にあたり改めてくみぞうさまはじめ、皆様にお礼申し上げます<(_ _)>
来年もよろしくお願いします!

青池先生の日記、私も拝見しました。
コンスタンシアの外伝、楽しみですね~。
「世界史の授業で必ず習うメジャーな事件」ってのはワット・タイラーの乱ですかね。
アルカサル祭りも今年で終わりかなと寂しく思っていたので、外伝がまだまだ続くというのは嬉しい限りです。
来年もこちらで皆様といろいろなことを語り合えたらと思います。
よいお年を!

Pさま
あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いたします~♪
私もPさまと同じく、2007年はアルカサル漬の1年間でした!時の過ぎるのが早く感じられる年頃(笑)ですが、昨年は本当にあっという間に過ぎてしまった気がします。
今年も2月には外伝、夏には展覧会と楽しみが目白押しで、あっという間の1年になりそうな予感がしています。
展覧会…王様にもお会いできるんですよね???
山口…行きたいなぁ。
ブログのネタはあるのですが、なかなかまとめる時間がありません(涙
更新も滞りがちで心苦しいかぎりですが、今年もアルカサルについて語り合いましょう~♪

Mlle Cさま
今年もよろしくお願いいたします!
コンスタンシアの外伝、本当に楽しみです!
>「世界史の授業で必ず習うメジャーな事件」ってのはワット・タイラーの乱ですかね
や・やっぱりそうでしょうか!!!
よく考えたらコンスタンシアの英国生活について知りたければジョン・オブ・ゴーントの伝記を読めばよかったのですね~。
スペイン側の資料とは違う部分もあるとのことでしたから、どのように書かれるのかとても楽しみにしています。
外伝もぜひコミックス化してほしいですね。そうしたら4話くらいは読めるかも~!
また実り多い1年となりそうです。ぜひともよろしくお付き合いくださいね~♪

はじめまして。
昨秋13巻入手直後、ロペスの墓参をして来ました。
墓所近くの書店で彼に関する本を軽~い気持ちで入手し、ミサの時間まで近所のカフェでパラパラめくっていく内、その結末に驚愕してしまいました。涙。
後日気付いたのですが、墓参の際、近所の花屋さんで見繕って頂いた4輪の百合の花は偶然にもカラトラバ騎士団の紋章だったのですね。
最近ほのかに嬉しい発見をしました。
既にお気づきかも知れませんが、2月19日の聖人Beato Alvaro de Cordobaの父母がロペスとサンチャとの記述が...さらに別の記述にはカタリナ・デ・ランカスターとその子ファンⅡ世の贖罪師であった、と。
ただ、あの本にもレオノールの回想録にも出てこないようなので、真偽のほどは?ですけどね。
世界史オンチで浅読な私なので、password下されば、とても有難いです。気長にお待ちしていますので、よろしくお願いします。

金花糖さま
はじめまして。
ロペスの墓参に行かれたのですね。お疲れ様でした。
>Beato Alvaro de Cordoba
以前入手したロペス記にはロペスとサンチャの子供たちの中にはこの名はないのです。
ただ、カタリナ・デ・ランカスター本には、レオノールの兄として登場しています。
もしロペスとサンチャの息子ならおそらく長男だと思われるので、なぜ修道院に入ったのか不明です。
ロペスの子供たちはレオノール以外全員亡くなっているので、彼が生き残ったのは修道院にいたことが幸いしたのだと思いますが…。
実際のところはどうなのか、真偽を確かめるのは難しいかもしれないですね。
何か新しい情報がわかりましたら教えていただけると嬉しいです♪

他にも登場しているのですね。
カタリナ・デ・ランカスター本、機会があれば読んでみたいです。
聖人の簡単なところだけ読み返していると、
El joven Alvaro era inteligente, simpatico, abierto y
devorador de libros.
なんだか...ロペスの兄ビセンテとアナベラの子かも、
なんてことも想像しちゃいます。
ビセンテの登場部分を探していて気付いたのですが、
コルドバのロペスの実家は、セビリアのピラトの家によく似ています。
大貴族メディナセリ公爵家(現在は財団)の所有するお邸ですけど、
16世紀中頃、ここの姫様と結婚した公爵から
代々Fdez.de Cordobaを名乗っています。
サンチャ・カリーリョのいとこの子孫なのでしょうかねぇ。
調べてみたのですが、今のところは不明です。
手元にあるリーフレットの家系図によると、
ここの始祖は、王様の曽祖父サンチョ4世の兄フェルナンデス
なのだそうです。

金花糖さま
>コルドバのロペスの実家は、セビリアのピラトの家によく似ています。
そうなんですか!ほとんと調べたことがありませんでした。
この次は必ず行ってみなくては!
実際訪れたことがないのでまったくわからないのですが、ロペス・デ・コルドバ家のモデルってコルドバのビアナ邸(14世紀の貴族の館・庭自慢)かなーとか勝手に想像してました。エヘ。
メディナセリ公爵家はデ・ラ・セルダ親王の家系ですね。第10代メディナセリ公爵ニコラス・フェルナンデス・デ・コルドバをたどるとディエゴ・フェルナンデス・デ・コルドバという人物が登場します。
父はゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ、母はマリア・ガルシア・カリリョで、この女性はロペスの妻サンチャ・カリリョの叔母/伯母です。
サンチャの高祖母メンシアもフェルナンデス・デ・コルドバ家の出身です~。

ピラトの家は、手元のガイドブックによると14~15世紀の建造なので、
ビアナ邸の方が有力でしょうか。
ご存知と思いますが、この一族はエンリケと...
特にファドリケの子孫でもあるので、縁が深く、
王様のプチネタが存在するのも、その因縁らしいです。
アルカサルには及びませんが、私邸にすると、こんな感じになるのかな?と。
私が訪れた時は暑かったので、人も少なく、緑が生い茂った木陰や、
水音が涼しい空間でしたょ。もちろん、爺が隠れていれそうな...。
おぉっ!フェルナンデス・デ・コルドバ家...
やはり繋がっていましたか。
ありがとうございます。スッキリしました。
最近、メリメ全集の王様伝、読み始めました。
図書館の本なので、じっくりとはいきませんが、
アルカサルの副読本として楽しんでいますょ。
逆ですかね。

金花糖さま
爺が隠れていそうですと!?
こ・これは現地に行って確認してみなくてはー!
>メリメ全集の王様伝
新訳で文庫とか出してくれないですかねー。
需要はあると思うんですけどね~。
名前とか統一して読みやすくしてくれると嬉しい。
そしたら私も副読本として購入します♪

くみぞうさま
こんばんは。
お庭を見つけたので、お知らせしようと来ましたら.....
まちがいに気付いたので訂正させて下さいませ。
>14~15世紀の建造...
ではなく、15世紀に現れ、1519~1570年に主要部分が出来た(拙訳)...
らしいです。
ガイドブックではなく、私のまちがいでした。すみません。
↓お時間があれば、お楽しみください。
http://uk.youtube.com/watch?v=GLE-D1OEJrg&feature=related
↓こちらには、王様のご自宅もちらり...
http://uk.youtube.com/watch?v=X0xOIy19lZU&feature=related
ピラトの家もお城も、映画キングダム・オブ・ヘブンのロケで使用されました。
地図上では、わかりやすい場所に感じますが、実際に歩くと
み~んな迷子になっています。もちろん私も。
旅行中は時間と労力が惜しいので、タクシーで行くことをおススメしますよ。
人通りも少なく、道を尋ねる事もできませんでしたし。

金花糖さま
ご紹介の映像を見てるとスペインに行きたくて身もだえしてしまいます(涙
「キングダム・オブ・ヘブン」はテーマも興味深かったのですが、何よりスペインロケが多かったとのことでしっかりDVDも購入しましたよ~。ふふふ♪
私も例にもれずサンタ・クルス街で迷子になりました。アルカサル開門前だったのでちょっと散歩でも…とふらついてるうちに(笑
特に予定も決めてなかったので時間はさておき、さすがに気も心も疲れましたねぇ~
La petrista del siglo XXI

くみぞう

Author:くみぞう

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