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イングランドに渡ったガリシアの騎士

これまで何度かロドリゲス・デ・カストロについて記事にしてきたものの、調査不足な部分があったため現時点で判明した事項についてメモしておくことにする。

ドン・ぺドロ亡き後、ジョン・オブ・ゴーントに嫁いだコンスタンシアは、かつて父の友であった黒太子らに迎えられ、1372年2月カスティリア女王として盛大にロンドン入りした。
ランカスター公爵家には、王の生前から婚姻交渉のためイングランドに渡っていたセゴビア聖堂参事会長他、カスティリアの亡命貴族が集い、さながら王宮の様相を呈しており、彼らの存在は本国カスティリアでも「emperegilados」の名で知られ始めていた。
1372年6月6日頃、コンスタンシアは長女カタリナを出産。1374年には長男ジョンが誕生する(このほかに男子1人が生まれるがどちらも夭逝)。
ロドリゲス・デ・カストロが半島での戦いを断念し、大勢の支持者を率いてポルトガルからイングランドへと渡ったのが1373年。
未来のカスティリア女王を抱き、また1人を身ごもるコンスタンシアに迎えられ、ロドリゲスらペトリスタの士気は高まったに違いない。また、父王の忠臣ロドリゲスの存在はコンスタンシアやイサベルにとっても心強かっただろう。
残念ながらガリシアの騎士ロドリゲス・デ・カストロは王冠の奪還を見届けることなく、1377年(1375年の説もあり)ガスコーニュで亡くなった。対カスティリア戦の準備のために派遣されている時期のことで、おそらく病死だったのではないだろうか。

*emperegilados(エンペレヒラードス)
イングランドで宮廷を形成していたペトリスタに対するトラスタマリスタ側の形容。ドン・ペドロの父はユダヤ人のペロ・ヒルであるとするプロパガンダによる。残念ながら正確な意味は不明。
emperejilarは「(ごてごてと・美々しく)着飾る」の意。
ユダヤ人を連想させる意図であるなら一昔前までのジプシーのイメージだろうか?華やかなドレスを着た旅芸人、流浪の民、のような。
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La petrista del siglo XXI

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