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くみぞうさん、いつも泉のような知識の宝庫を有難うございます。
「質問コーナー」、面白そうですね。
またおばかな質問させてもらうかもしれませんが、どうぞ宜しくお願いします。
いつも、くみぞうさんの知識に、へぇ~とか、ほぉ~とか言って読ませてもらってます。

ワルツさまへ
知識の泉…!いいですねぇ~
そんな泉があればぜひとも探し当てたいものです。ファルコに掘らせて。
最近物忘れが激しくなったようなのです(汗)あれ?これどこかで見たような??とか、
どこかで聞いたような??とか混乱しまくった挙句、結局思い出せない…(涙
そんなわけでぜひぜひワルツさまもご助力くださいね♪
脳を活性化させる音楽とかあったら教えてください←切実

は~い!質問です。
王妃マリアの事はなんとなくイメージできるのですが。エンリケの王位継承の根拠?
となったであろう、ホァナ王妃という人はどんな個性の女性だったのでしょうね。
おもちの資料には、それらしき逸話がありますでしょうか?
アルカサルでの大人しい賢夫人のイメージは、果たして史実に近いのでしょうか。
キャラバン雑居の感がある他の愛妾達とは上手くやっていたのでありましょうか。
実は、あのご夫人の事、当方ちょっと気に入っております。

ごめんなさい。上の質問者は、「くみぞうさま」ではなくもりちゃんです。書き込み方に慣れていなくて失礼しました。

もりちゃんさま
私も自分の名前のところにレス相手の名前を入れてしまい、こっそり修整したことがあります(笑
>アルカサルでの大人しい賢夫人のイメージ
エンリケ夫人ファナ・マヌエル、確かにそんなイメージですよね。資料を漁ってみると、意外にもというかやっぱりというか非常にしっかりしたタイプの女性だったようです。
女帝モードと争ったスティーブン王妃マティルダ…とまでは行きませんが、エンリケの不在時には家臣を取りまとめ、王妃として采配を振るっていた、と伝えられています。
おとなしく見えても彼女はファン・マヌエルの娘ですから政治的な素質もあったのでしょうね。他の妻妾たちとの諍いについての記述は見当たりませんでしたが、彼女の父も複数回結婚していますし愛妾もいたでしょうから割り切っていた…とうか割り切るしかないですよね(涙

くみぞうさまありがとうございます。
エンリケは庶子なのに、王位継承を狙っていたわけでしょう。だとすると、彼女の息子も庶子たちから後釜(いやん、お下品)を狙われる可能性もあったわけですよね。彼女が結婚したときには、エンリケにはすでに庶子が3人程いたみたいですし・・・。そこのところ、どう折り合っていたのかなと思いました。でも、すでに王妃然としていたのならそこのところは心配なかったのでしょうね。夫からの信頼もあったのでしょう。

もりちゃんさま
あくまで私見ですが、エンリケがカスティーリャ王として即位できたのは混乱に乗じたとしか言いようがない気がします。国中が混乱し、疲弊しきっている中でなんとなく盛り上がっちゃってエンリケ王バンザーイ!みたいになっちゃったのではないかと。スペイン人だし。
この時までに王位継承権を主張できそうな者たちはほとんど消えていて、カスティーリャ国内ではドン・ペドロとファナ・マヌエルくらいしかいなかったと思われます。エンリケは庶子ですからファナ・マヌエルの権利により、もしくは共同統治のような形で周囲を納得させた(煙に巻いた)のではなかったかと思ったりしています。
そんなわけでエンリケの庶子たちが王冠を主張することはほぼ不可能だったと思います。王とはいえエンリケの正統性は怪しく、その庶子たちが王位継承権を主張するには彼らの母親がファナ・マヌエルより上位の継承権を主張できなければならないからです。
ファナ・マヌエルに張り合えるほどの家柄の娘はいなかったと思いますが、もしかしたら彼女は自分の夫のことも見下していたりして…とか思うと楽しいです。ふふふ。

はじめまして。
いきなりの質問ですが、92/8月号の歴史読本ワールド「世界の英雄100人」という本を読んだことはありますか?
この書籍のドンペドロの項でスペインに造詣の深い中丸明氏の寄稿があり「「王は溺愛したマリアが1362年に死んだとき、遺骸をセビリアの大聖堂に運ばせ、その棺の傍らに立って トレドから呼び寄せた大司教の司式の下に正式に結婚した」とあります。
私はこの記述をいい加減なものだとは思っていないのですが、中には信憑性がないという人もいます。
実際のところはどうだったのか、おわかりでしたらご教授ください。

ドニャ名無子さま
はじめまして。いらっしゃいませ。
えーと、まず「歴史読本」は持っていないので、ドン・ペドロに関する記事も残念ながら未読です。中丸明氏の著書、とっかかりに読む分にはいいのでしょうが自分なりに多少知識がついてくると、不正確というか大雑把?な箇所が目につきますし、面白さ優先で考証がなおざりになってるようにも感じられます…
>王は溺愛したマリアが1362年に死んだとき、遺骸をセビリアの大聖堂に運ばせ、その棺の傍らに立って トレドから呼び寄せた大司教の司式の下に正式に結婚した
1361年7月、セビーリャで亡くなったマリアは、彼女が創設したアストゥジジョのサンタ・クララ修道院に運ばれ、埋葬されました。
翌年4月、セビーリャにコルテスを召集したドン・ペドロはマリア・デ・パディリャが真のカスティーリャ王妃であったと宣言。ブランシュ・ド・ブルボンとの結婚前にマリア・デ・パディリャと結婚していたものの、当時は政情不安定であったために、マリアとの結婚を公表できなかったと主張。立会人は、イネストロサ、ディエゴ・デ・パディーリャ、国璽尚書フアン・アロンソ・デ・マヨルガ、サンタンデル修道院長フアン・ぺレス・デ・オルドゥニャで、すでに亡くなっていたイネストロサ以外の全員が福音書を前に証言。トレド大司教ゴメス・マンリケは「マリア・デ・パディリャはカスティーリャ・レオン王国の王妃であり、彼女の子供たちは王の嫡子である」として王の主張を認め、アルフォンソ王子はコルテスにより王位継承者として認められました。その後、マリアの亡骸は、聖職者や騎士、女官たちにより王妃の礼をもってアストゥジジョからセビーリャへと運ばれます。
で、棺と結婚式を挙げたのか?という疑問について。
マリアの死後に改めて結婚式を挙げた、とする記述は手元の資料では見当たりません。ちょっと違いますが、「かつてマリアと結婚式を挙げた思い出の場所であるセビーリャの大聖堂に彼女を埋葬した」とする文書があるという記述はあります。ただ「この結婚式は盛大に行われた」と続けられており、セビーリャでこのような結婚式が行われた記録がないことと、王が「結婚式はひそかに行った」と証言していることから、マリア・デ・パディリャとの結婚の真実性を強化するための、記録者の勇み足であるとされています。この辺の話から来てるんでしょうかね??
ご存じと思いますが、ドン・ペドロのこの行動は、1360年に叔父のポルトガル王ペードロがコルテスで行ったイネス・デ・カストロとの秘密結婚の主張がヒントになったと言われています。イネス・デ・カストロはコインブラで暗殺され、この地の教会に埋葬されていましたが、悲惨な記憶の残る地を嫌ったペードロによってアルコバサに移されます。
墓から掘り起こされ、オークの棺に移される王妃の亡骸のそばに立ち、祈りを捧げていた喪服姿の王は、その場に集まった民衆に向かい「ポルトガル王妃!」と叫びます。何が起こっているかわからない民衆はさまざまな憶測を巡らし、そこからイネスの遺体に冠を載せ、家臣らに接吻させた、という伝承が生まれたのだそうですよ。

業務連絡(笑)です。どちらに書かせていただくか迷ったのですが、とりあえずここにさせていただきます。
Oxford Dictionary of National Biographyのサイトで、現在チョーサーのbiographyが無料公開されています(Life of the Day)。
http://www.oxforddnb.com/public/lotw/4.html
期間は公開から1週間なので、10/31(金)まで見れると思います。
私はまだ目を通していないのですが、後で見ようと思ってとりあえず保存しました。

秋津羽さま
今さら大変失礼ですが、ありがとうございました!
持つべきものはオタクな同志です(笑
La petrista del siglo XXI

くみぞう

Author:くみぞう

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