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アルフォンソ・エンリケス

身も蓋もないことを言うようだが私はアラゴンに興味がない。
カスティリアに関わる部分に関しては目を通すけれどその他はさっぱりだし、アラゴンの地名は主要地しかわからない。しかもそれすらもあやしい。
イサベル女王は尊敬するけれど夫のフェルナンドには興味がない。
それでもフェルナンドの血筋には一部惹かれるものがある。

父方をたどると
アラゴン王フェルナンド2世(カスティリア王フェルナンド5世)
   ↑
アラゴン王フアン2世   フアナ・エンリケス
   ↑
アラゴン王フェルナンド1世   レオノール・ウラカ・デ・カスティリア
   ↑
カスティリア王ホアン1世   レオノール・デ・アラゴン(アラゴン王ペドロ4世王女)
   ↑
エンリケ・デ・トラスタマラ   ホアナ・デ・ビレナ(ホアナ・マヌエル・デ・ビリェナ)

フェルナンド1世の妻レオノール・ウラカ・デ・カスティリアの両親は、父がサンチョ・デ・カスティリア(エンリケの弟)、母がベアトリス・デ・ポルトガル(ポルトガル王ペードロ1世とイネス・デ・カストロの娘)
派手な血筋である。

それに比べて地味に感じるのが母方の血筋。
フェルナンドの母はフアナ・エンリケス(1425-1468)
その父はカスティリア提督ファドリケ・エンリケス(1390-1473)
そして祖父はアルフォンソ・エンリケス(1354-1429)
ファドリケの庶子の1人。

ブランシュ・ド・ブルボンとファドリケには不義の噂があったが、2人の間に生まれたと噂されたのがアルフォンソ・エンリケスらしい。
オルティス・デ・スニガなる人物によれば、1354年頃1人の赤ん坊がファドリケに仕えるユダヤ人夫婦のもとに
預けられ、その夫婦の息子を装って育てられた。
20年後にファドリケの嫡出子と認められて洗礼を受け、すでに王となっていたエンリケ2世がその代父となり、
アルフォンソ・エンリケスは一家系を授けられた、とある。

この庶子をなぜ20年間も密かに育てなくてはならなかったのか?
そしてその庶子に多大な栄誉を与えたのはなぜなのか?
1354年頃ブランシュ・ド・ブルボンが密かにファドリケの子を出産したという噂とあわせ、このアルフォンソこそがその子なのだという憶測が流れたのだとか。

んー。スニガは司教館の記録とか調べたのだろうか?
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La petrista del siglo XXI

くみぞう

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