スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ドン・ペドロの結婚事情

以前の記事フランスのブランシュ、ナバーラのブランカでチラリと触れたドン・ペドロの結婚について、もうちょっと詳しい事情がわかった。




続きを読む

スポンサーサイト

tag : ブランシュ・ド・ブルボン ブランカ・デ・ナバーラ ジョーン

【3】カスティリア王とデ・ラ・セルダ親王家

フェルナンド4世が27歳で亡くなり、王位を継承したのはドン・ペドロとエンリケの父であるアルフォンソ11世。まだ1歳の赤ん坊。
マリア・デ・モリナはサンチョ4世妃として、息子フェルナンド4世、孫のアルフォンソ11世の摂政としてカスティリア王国を支え続けた偉大な女性。スペインでは人気者のようだ。

1321年に亡くなる直前までマリア・デ・モリナはアルフォンソ11世の摂政として立派に勤めを果たしていた。10歳までそばにいてくれた祖母の存在はアルフォンソ少年にとって大きな存在だったと思う。実はおばーちゃん子だったかもしれない。
アルフォンソ11世がレオノーラ・デ・グスマンを寵愛したのは、祖父の代に遡るデ・ラ・セルダ親王家との確執とそれに伴う祖母の苦労を見て育ったからではないだろうか。
グスマン家はグスマン・エル・ブエノに代表されるように王家に対して忠実な家柄。対してマリア王妃の父ポルトガル王アフォンソ4世は、後に友好的になったとはいえ、もとはデ・ラ・セルダ親王家を支援していた仇敵だ。
政治的手腕に長け、人望も厚い祖母マリア・デ・モリナの姿とレオノーラ・デ・グスマンの姿が重なって見えたのではないだろうか。母コンスタンサ・デ・ポルトガルも早くに失っているわけで、やんごとなきお姫様に対する免疫がなく、祖母のような切れ者の女の方が好みだったとか←妄想妄想

アルフォンソ11世とレオノーラ・デ・グスマンの子、エンリケ・デ・トラスタマラに娶せられたのはホアナ・デ・ビレナ。父方の祖父はフアン・マヌエル親王(フェルナンド3世の三男、アルフォンソ10世の弟)母方の祖父はフェルナンド・デ・ラ・セルダの次男につながる血筋である。
デ・ラ・セルダ親王家の末裔は他にホアナ・デ・ララ(テリョの妻)とイサベル・デ・ララ(アラゴン親王ホアンの妻)がいたが両者とも亡くなっている。
サンチョ4世によって歪められた王位は、エンリケとホアナ・デ・ビレナの間に生まれたホアン1世によって再び正統となったのだ、と見ることもできる。

【2】カスティリア王とデ・ラ・セルダ親王家

1284年、サンチョ4世は多くの町や貴族の賛同を得て即位したが、アルフォンソ10世の遺言を尊重するデ・ラ・セルダ親王家支持派も少なくなく、その治世中は内乱が絶えなかった。
サンチョ4世の弟フアン親王はビスカヤ領主ロペ・ディアス・デ・アロと組んで反乱を起こすが、デ・アロは処刑、フアン親王は投獄された。
サンチョ4世は数千のデ・ラ・セルダ親王派支持者たちを次々と処刑した後にフアン親王を釈放するが、親王はモーロ王の支援を得て再び蜂起しタリファの町を攻囲する。この町を守っていたアロンソ・ペレス・デ・グスマンは捕らえられた息子と引きかえに城の明渡しを要求されたが、逆に息子の首を切るための剣を投げつけたという。グスマン・エル・ブエノこそカスティリア騎士の鏡!と伝えられているが、この直前まで彼はモーロ王の傭兵だった。

1295年サンチョ4世が亡くなり、息子のフェルナンド4世が王位を継承する。
母マリア・デ・モリナ、マヌエル親王(アルフォンソ10世の弟)の子フアン・マヌエル他、計4人が9歳の幼い王の摂政となった。マリア・デ・モリナはフェルナンド3世の弟アルフォンソ・デ・モリナの娘であり、夫であるサンチョ4世の父アルフォンソ10世といとこにあたる。
サンチョは1270年12歳の誕生日の少し前にベアルンのガストン7世の娘と婚約していた。床入りによる結婚の完遂には至っていなかったが、教会法では唯一これがサンチョの結婚だとされていたため、1282年にマリア・デ・モリナと結婚するとローマ教皇は激怒。
最初の結婚の解消がされていないこと、マリア・デ・モリナとの近親婚の特免を申し立てなかったことが理由であった。教皇の破門は数年に及びフェルナンド4世の王位の正統性を危うくさせた。
デ・ラ・セルダ親王家、サンチョ4世の弟親王フアンが再び王位主張の声をあげ始めたが、マリア・デ・モリナの巧みな政策と厚い人望により反乱貴族たちは懐柔されていく。成人したフェルナンド4世は、母の尽力により平和を取り戻しつつある王国を引き継ぐことができた。
が、このフェルナンドはとんだ親不孝者だ。
母が平和維持のために使う資金の支払いを息子は拒んだ。マリア・デ・モリナはそれを全て私有財産から支払った。あげくにフェルナンドは父王が母に遺した宝飾品をそっくり差し出させた。

こんな親不孝の罰があたってか?フェルナンドは27歳の若さで亡くなる。
王は、アルフォンソ、ペドロ・デ・カルバハルの兄弟を嫌っていた。この2人を始末させようと寵臣のフアン・アルフォンソ・デ・ベナビデスを差し向けるが、逆にカルバハル兄弟に殺害されてしまう。2人はメディナ・デル・カンポの市で馬具を買っているところを捕らえられてハエンに近いマルトス城(ロペスも送られた…)に監禁され、数日後に崖から突き落とされて殺害された。その直前まで2人は口論の末の正当防衛で自分たちは無実だと訴え続け、フェルナンド王に対して「30日以内に神の前に引き出してやる」と通告した。
その後、30日を待たずに王はベッドで亡くなっているところを発見された。
彼のあだ名は「el Emplazado」
日本語でなんと訳したらいいのか悩むが、「召還された」「呼び出された」王様と呼ばれている。

【1】カスティリア王とデ・ラ・セルダ親王家

カスティリア王位を簒奪したエンリケ・デ・トラスタマラ。
しかしその正統性の疑わしさは後々まで影をさすことになる。
結局お互いの孫エンリケ3世とカタリナ・デ・ランカスターの結婚、両者の血をひくホアン2世の誕生によって名実共に正統なカスティリア王が誕生。めでたし、めでたし。
が、エンリケ以前にも簒奪者はいた。アルフォンソ11世の祖父にあたるサンチョ4世。
そして、このときの正統な王位継承者の子孫はホアナ・デ・ビレナ。
デ・ラ・セルダ親王家の末裔である。

母からカスティリア王国、父からレオン王国を相続したフェルナンド3世(エル・サント-聖王-)。
その息子アルフォンソ10世は父王の偉業にならいレコンキスタを推進、また、母ベアトリス・デ・スアビアの血筋により神聖ローマ皇帝位を狙い、金と力をつぎ込むがことごとく失敗する。軍事面での才能には恵まれなかったが、メスタ(牧羊組合)の整備、七部法典、世界史、イベリア史の編纂、アルフォンソ天文表を作成。すぐれた詩人でありガリシア語による「聖母マリアの古謡集」でも知られる。カスティリア語文法の制定やトレドに学者を集めて、古文書の収集、保護を行い西欧各国の言語に翻訳させるなど、文化芸術面の功績から「エル・サビオ-賢王-」と呼ばれる。

長男フェルナンド・デ・ラ・セルダが自身より先に亡くなったことをきっかけに失政に対する批判が高まり、王の次男サンチョが王位を要求。カスティリア貴族たちの支持を得て蜂起する。
アルフォンソ10世は唯一忠誠を保っていたセビリアに追い詰められ、幽閉中の1282年「王位はフェルナンド・デ・ラ・セルダの長子に相続させること、自身の次男であるサンチョからは相続権を剥奪する」との遺言を遺した。
しかし2年後、王が亡くなるとサンチョは遺言を無視してトレドで戴冠しサンチョ4世を名乗った。
「アルカサル」にも触れられているが、デ・ラ・セルダ親王家、デ・ララ家とカスティリア王家の王権を巡る確執はこの時生じた。

フランスのブランシュ、ナバーラのブランカ

【フランス王】
フィリップ6世(1293-1350)   ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ(1290-1348)
                 ↓
           ジャン2世(1319-1364)   ボンヌ・ド・リュクサンブール(1315-1349)
                          ↓
                   シャルル5世(1337-1380)   ジャンヌ・ド・ブルボン(1337-1378)

シャルル5世妃ジャンヌ・ド・ブルボンはドン・ペドロ王妃ブランシュの姉。
ジャンヌとブランシュの母イザベルはフィリップ6世の異母妹。

【ブルボン公】
ピエール・ド・ブルボン   イザベル・ド・ヴァロワ
              ↓
         ジャンヌ・ド・ブルボン   シャルル5世
        ブランシュ・ド・ブルボン   ドン・ペドロ

1349年フィリップ6世はナバーラ王女ブランカ・デ・ナバーラと再婚、翌年死去。
ブランカは1351年王女ジャンヌを出産。

【ナバーラ】
女王)フアナ2世   エブルー伯フィリップ
           ↓
      マリア・デ・ナバーラ(1330-1347)   アラゴン王ペドロ4世
      ブランカ・デ・ナバーラ(1333-1398)   フランス王フィリップ6世
      王)カルロス2世(1332-1387)←悪賢いヤツ

アラゴンのブス姫ホアナ(1344-1385)は、マリア・デ・ナバーラの娘だったりする。

続きを読む

La petrista del siglo XXI

くみぞう

Author:くみぞう

検索フォーム
最新記事
最新コメント
カテゴリ
タグ

キャサリン・スウィンフォード コンスタンシア 外伝 公爵夫人の記 モンティエル 完結 セビリア カルモナ マルティン・ロペス チョーサー ジョン・オブ・ゴーント イサベル エドムンド バイヨンヌ ファドリケ パラドール アルマグロ シウダ・レアル サンティアゴ・デ・コンポステラ ロドリゲス 考古学博物館 ファルコ 礼拝像 ペードロ イネス・デ・カストロ カタリナ ホアナ・デ・ビレナ ダルブルケルケ カンタベリ物語 イネストロサ ジョアン デュ・ゲクラン JohnofGaunt ジョーン ホアナ・デ・カストロ ブランシュ・ド・ブルボン ブランカ・デ・ナバーラ メリメ カブレラ レオノール・ロペス 

CustomRssReader
リンク
月別アーカイブ
最新トラックバック
QRコード
QR
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。